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優れたEFLライティング教師になるためには

デイビッド・マーティン著

生徒が英作文の良い書き手となれるよう適切な指導をするためには、彼らが英作文についてどう考えているのか、どのようなプロセスで文章を書こうとしているのかについての充分な理解が不可欠です。「後回しにできる書き物は、後回しにされるものだ」という格言を御存知でしょうか。ほとんどの生徒が、英語の文章を書くことを好みません。それどころか、嫌悪感を抱いている生徒も少なくありません。一体どうしてなのでしょうか?何故ライティングの授業は人気がないのでしょうか?

英語という観点から一旦離れて、「文章を書く」ことについて考えてみましょう。話すことや聞くことは日常的におこなっている行為なので、そこまで「勉強」しようと構えずに済みます。私たちは他人とコミュニケーションをとる必要から自然に聞き、話すことができていますし、読むことも大抵の人がこなせます。しかし、文章を書くということは自然に身に付くものではなく、学習しなければなりません。基本的に、誰かに書き方を教わらなければ、文章は書けないのです。

始めから書くことが大好きな人がいない、というわけではありませんが、一般的には積極的に好む人は少ないといっても良いでしょう。エミッグ(Emig, 1978)によると、「脳内にはもともと書くことを司る生物学的基礎が存在している」そうです。またマレー(Murray, 1980:11)は、「人間は根源的な要求に促されてものを書いているのである」と言っています。エミッグとマレーにとっては文章を創作することが非常な楽しみであったのかもしれませんが、正直私には、書くことが人間にとってごく自然な行為であり、また人は原始的な欲求に突き動かされて書くのだ、という主張は受けいれ難いものです。一方、英語教育の現場において、生徒がライティングの課題をできるだけ先送りしようとするのはよく見受けられます。文字どおり「後回しにできる書き物は、後回しにされてしまう」のです。

要するに、文章を書くことはフラストレーションが溜まるので、敬遠され嫌われるのではないでしょうか。そしてフラストレーションが溜まるのは、それが不自然な行為だからです。話すことは、ごく自然なことです。口を開きさえすれば、言葉は簡単に出てきます。そして自分の発言が文法的に正しいかとか、その構造についていちいち考えたりはしません。自分の発言の適切さ・正しさを確認するために何度も繰り返して口にしてみたりする必要もありません。会話における言葉は、発せられた途端に消えてなくなってしまうものなのです。ところが文章を書くとなると、そのようにスムーズには行きません。その過程は、まずセンテンスを幾つか書き出してみては読み返し、何カ所かを訂正しつつ先に進む、というものです。文章を書くとき、私たちは絶えずその正確性をチェックしているのです。

ライティングを教える上で教師が認識しておかねばならない、最も重要なポイントがあります。「我々はESLではなく、TSLThinking in a Second Language)、つまり第二言語で考えることを教えているのだ。もし生徒をそうさせることに成功したならば、そのときこそ我々は、本当に彼らに何かを教え得たことになるのである。」(レイムズ Raimes, 1985:92)人間の頭は、膨大な情報を一度に処理しながら保持しつづけることは困難です。にも関わらず、私たちは文章を書いているとき、同時に校正することや別のアイデアについて考えてしまうのです。創造することと破壊すること、これら二つは、相反するプロセスです。もし次々と浮かんで来る想念のすべてを、忘れてしまう前に紙に綴ることができたなら、後でゆっくりとそれらをどう整理すればよいのか考えることができますが、頭の中だけでそれを行うのは難しすぎるのです。なかには頭の中で何をどうしたいのか考えた上で、それらを適確に紙上に表現できる人もいますが、そのような人は極少数です。私たちの教える対象は、あくまでも大多数の人間です。そして大多数の生徒は、頭の中で全てを整理し構成することはできません。

それでは書くことが敬遠され嫌われている現状において、ライティングの授業を楽しく素直に取り組めるようなものにするために、私たち教師はどうすればよいのでしょうか?まず第一に、生徒は英文を書くとき、「編集」という概念を頭から一旦追い出さなければなりません。とにかくどんどんアイデアを書き出すようにし、それらを破棄することを止めなければなりません。全てのアイデアを無事に紙に書き終えてから、好きなだけ編集すればよいのです。それまでは、編集するという考えをシャットアウトしておくよう指導するのがポイントです。

編集という概念を生徒の頭から追い出すために有効な手段は、フリーライティングの方法を教えることです。フリーライティングとは文字どおり、編集作業から「フリー」になって書くことを言います。生徒はリラックスして思う存分に書き散らすことができるため、書くことに対してフラストレーションを感じずに済むのです。フリーライティングの目標は、時間内に(大抵10〜20分の間に)できるだけ多くの発想を書き出すことです。エルボー(Elbow, 1979)は、この目標を達成するために一番大切なことは「絶対に書くことを止めないことである」と主張しています。間違いを疑って止まらないこと、スペルミスを見つけるために止まらないこと、文法ミスを見つけるために止まらないこと、読み返すために止まらないこと。とにかく、決して書くことを止めないことです。フリーライティングの一番のメリットは、自然と英語で考えざるを得ない状態に生徒を仕向けることができる点にあります。本当にフリーライティングを実践していれば(決して止まることなく書き続けていれば)、いちいち母国語から第二言語に訳している時間などないはずです。

フリーライティングをさせることに成功すれば、あなたは生徒のフラストレーションを巡る戦いにほぼ勝利を修めたといえるでしょう。フラストレーションこそ、ライティングを嫌悪し、敬遠する最大の要因なのですから。もしかしたら、書くことに情熱を覚え、自主的にどんどん文章を書くようになる生徒も出てくるかもしれません。マレー(1989:19)はこのことに関連して、自分の机には「一日一行」というライティング上達のための心構えが書きつけてある、というエピソードを紹介しています。

ライティングに対するマイナス思考を変えるのに有効な別の方法としては、生徒に「ライティングの学習とはスキルの習得ではなく、知識を広げるための手段のひとつなのだ」と教えると良いかもしれません。「技術を身に付ける」という風に考えると、どうしても良し・悪し、成功・失敗という価値判断で考えてしまいがちです。一方、知識を広げることは誰にでもできます。自由な発想を抑圧することはありません。

アリストテレスに代表される古代の雄弁家は、テーマを探求し、その事について深く学び、新しい考えを生み出すために役立つ表現方法として、定義・比較対照・時系列などの修辞法を使用しました(アプルビー Applebee, 1980)。今日では、アリストテレスの方法論は、アイデアを検討する際の基本的な方法論となっています。

レイムズ(1985:83)は、書くことは本質的にコミュニケーションの手段であるべきだ、と言っています。そしてその事に関連して、「生徒はまるで、何かの訓練のために誰も関心をもたないことについて一生懸命語ろうとしているようだ」と指摘しています。彼女の主張によると、ライティングを教えるにあたっては、文法知識の伝授よりも生徒が自分のアイデアを表現することを重視すべきなのです。例えば、まったく文法ミスがなく構成も整っているからといって、それが必ずしも素晴らしいエッセイと言えるわけではありません。この場合、生徒はただ単に情報を器用にまとめ上げたにすぎないからです。このような理由から、過度に体系化されたテキストブックは生徒の自己表現の可能性を狭めてしまう恐れがあるため、危険だといえます。

ところで、まとまった文章を書こうとする場合、伝統的な手法ではまず概要を記し、続いて序文へと書きつなぐのが通例です。これに反して、プロセスを重視するライティングの教師は、概要を初めから書かないこと、また序文から書き始めないことを勧める傾向があるようです(テイラー Taylor, 1981; レイムズ Ramies, 1985)。よく聞かれる誤った議論があります。書き手は書く前から自分が何を言いたいのか分かっているものだ、というものです。もし書き手が書く前に何について書くのか知っていたとしたら、書くことは学びのプロセスとはなりえません。アプルビー(1980)は「書くこととは学びのプロセスであり、その過程において文章はそれ自身の真の意味を発見するのである。」と言っています。彼はまた、真実や意味は決して言葉から独立して存在することはできない、と主張しています。フラワー&ヘイズ(Flower & Hayes, 1979:25)は、最初の段階から綿密に構成を練り上げ、まとめてしまうことの危険性を指摘しています。「残念ながら、最初にまとめ上げた構成がベストであった、というケースは大変少ない。」テイラー(Taylor, 1981)は、構成とは文章の意味やアイデアから自ずから産まれてくるものだ、と主張しています。

私のこれまでのフリーライティングに関する主張をまとめると、次のようになります。教師は生徒に、席に着いたらとにかく、見直しをさせず、編集をさせず、いかなる理由によっても止まることなく、書いて書いて書きまくるよう教えることが大切である。もし書き続けることを止めてしまえば、たちまち頭のなかに潜んでいた悪魔(編集者)がすり寄ってきて、フリーライティングの一貫性は失われます。それまでのプロセスが、台無しになってしまうのです。

課題を用意することは、ライティング教師の仕事の一部にすぎません。そうではありますが、この役割を余りにもぞんざいにこなしている教師が多過ぎるようです。多くの場合、教師は生徒に課題を投げかけるだけで、あとは生徒自身で作文させます。しかしそれでは生徒はどうしてよいのか判らず、混乱するだけです。まるで生徒に「競技会に出場したければ1マイルを5分以内で走るように、以上」と言い捨て、何の指示も出さずに去ってしまう陸上のコーチのようなものです。コーチは選手が1マイルを5分以内で走りきる、という目標を達成できるように助けてあげないといけません。「毎日のストレッチを欠かさず、短距離スピードトレーニングや長距離走をおこない、ウェイトトレーニングもしなさい」と指示する必要があるのです。

また、具体的な課題を与えるのなら、ライティング教師は、目標をクリアするためのノウハウを生徒が身に付けられるよう、できる限りサポートしなければなりません。レイムズ(1985:85)はこのことについて、次のように述べています。「具体的なノルマを生徒に与えるということは、単に課題を選んでやることのみに止まらず、課題についてどのように書けばよいのかまで指示をすることも含まれる。」先程の陸上コーチと選手の例で考えてみましょう。コーチは生徒に1マイル走るというノルマを与えましたが、同時に「5分以内に」という具体的な目標をも設定しています。私たちライティング教師は、生徒に明確な目標を与えずにいるケースが非常に多いのです。課題だけを与えて放ったらかしにした結果は、何の面白みもない、死に体の文章が提出されてくるだけです。教師の義務として、ライティングがゴールを目指した作業となるように、特定の読み手を設定することが大切です。明確なゴールなしに書かれた文章は、エルボー(1981)が「肉声」と呼ぶところのものに欠けてしまうのが常なのです。

EFLライティング教師の目標の一つは、生徒が自立した書き手になれるように指導することです。そのためには、生徒が客観的に自分の書いた文章を見つめられるように指導しなければいけません。そのための一つの方法としては、ライティング面談があります。単に答案を赤ペンで採点して生徒に返すよりも、個人面談のかたちで、生徒に直接良い点や改善すべき点を説明する方が、はるかに効果的です。

ライティング面談において重要なのは、生徒に会話の主導権をとらせるということです。教師はあくまで、生徒の学習プロセスの補佐役に止まるべきです。マレー(1985:13)は、「生徒が自分で意味・対象・形式・言葉を探ろうとする努力を妨げないよう、教師は過剰に材料を提供し過ぎてはならない」と言っています。しかし、カーネセリ(Carnecelli, 1980)はライティング面談をおこなうに当たり、先生が無条件に生徒の意見に同意してしまいがちである「カールロジャーズセラピー」に対しては、警鐘を鳴らしています。確かにマレー(母国語論者)の理論は、生徒がすでに自立的な英文ライティングをおこなうのに必要な語学力をもっていることを前提としています。しかしEFLの生徒の場合、常にこの条件が適合するとは限りません。従って実際には、生徒に色々な言い回しを提示しなければならないケースも多いでしょう。

ロブ、ロス、サザリン(Rob, Ross and Sutherlin, 1986:91)は、日本人のEFLライティング生徒を対象にエラー・フィードバックについての調査・研究を行った結果、次のように結論づけています。「文章レベルでこと細かく添削されたフィードバックは、指導者の費やさねばならない時間や労力に見合わない。」私はこの結論は、早計で確実な根拠に欠けていると考えます。なぜ間違いを丁寧に訂正することが、生徒の文章力を向上させることに繋がらなかったのか、納得がゆかないのです。恐らくは、生徒が様々な理由からフィードバックをきちんと理解しようとせず、改善するためのツールとして充分に活用しようとしなかったからではないでしょうか?

生徒にフィードバックに対して真剣になるよう促す方法はあります。それが即ち、ライティング面談なのです。先生は自分の書き込んだ添削内容について、生徒にじっくりと説明することができます。重要なのは、面談の前にエッセイを採点してしまわないようにすることです。始めから採点されてしまっていると、生徒はきちんと話を聞こうとしなくなってしまいます(カーネセリ, 1980:103)。面談の最中、教師は文章の改善すべき点を挙げると同時に、努めて良い点を誉めてやらねばなりません。

とはいえ現実的には、時間や場所に制限があるため、個別に面談をおこなうのは容易ではありません。しかし、同様の内容はエッセイの添削コメント、教室での対話、ピアエディティングなどによって代替させることができます。

生徒の文章にコメントする際は、「生徒にできる限り具体的に書くよう指示している以上、教師も曖昧なアドバイスは止めて、具体的に指摘するべき」(ソマーズ Sommers, 1982:164)です。もし面談を行うことができない場合、ソマーズは「コメントは、生徒が必要な改善をおこなえるように、具体的でなければならない。」と主張しています(1982:164)。

EFLライティング教師として生徒を優れた英文の書き手にするには、下記のことに特に留意すると良いでしょう。

  1. フリーライティングの実施によって、英作文に対する生徒のマイナスイメージを払拭する。
  2. 生徒の実力に見合った課題をあたえるようにし、指示を具体的にする。
  3. ライティング面談もしくは添削にて、具体的なフィードバックや訂正を行う。
以上三つのポイントを守り、粘り強く、細やかな配慮をもって生徒を指導するようにすれば、「後回しにできる書き物は、後回しにされる」ことは無くなるはずです。

参考資料

Applebee, A.N. (1981). Writing in the Secondary School: English and the content areas. (Research Report No.21.) Urbana, IL: National Council of Teachers of English.

Carnecelli, Thomas A. (1980). "The Writing Conference: A one-to-one conversation," In Eight Approaches to Teaching Composition, Timothy R. Donovan and Ben W. McClelland, eds., Chapter 7, 101-131. Urbana, IL: National Council of Teachers of English.

Elbow, Peter. (1979). Writing without Teachers, Oxford University Press.

Emig, Janet. (1978). "Writing as a Mode of Learning," In The Writing Teacher's Sourcebook, Gary Tate and Edward P.J. Corbett, eds. Oxford University Press.

Flower, Linda and Hayes, John R. (1979). "The Dynamics of Composing: Making plans and juggling constraints," In Cognitive Processes in Writing: An Interdisciplinary Approach, Lee Gregg and Irwin Steinber, eds. Hilldale, NJ: Larwrence Erlbaum.

Murray, Donald M. (1980). "Writing as a Process: How Writing finds its own Meaning," In Eight Approaches to Teaching Composition, Timothy R. Donovan and Ben W. McClelland, eds. Urbana, IL: National Council of Teachers of English.

Raimes, Ann. (1985). "What Unskilled ESL students do as they write: a classroom study of composing," TESOL Quarterly 19 (2): 229-258.

Robb, Thomas, Ross, Steven and Shortreed, Ian. (1986). "Salience of Feedback on Error Quality and its Effect on EFL Writing," TESOL Quarterly 20 (1): 83-93.

Sommers, Nancy. (1982). "Responding to Student Writing," College Composition and Communication 33 (2): 148-156.

Taylor, Barry P. (1981). "Content and Written Form: A two-way Street," TESOL Quarterly 15 (1): 5-13.
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